2013-4-17
徳川家康公


QPON・高画質・ストリーショー

Sunpu-Castle
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掛川城






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徳川家康は幼少時に今川氏の人質のとられ、以後は今川氏の居館跡に・初めて城を築いた

 その後。家康は将軍職を秀忠に譲り、駿府に戻り住みまして。慶長12(1607)年,
隠居所として家康は、輪郭式で石垣を廻らせた三重の堀を持ち、本丸の北西には
五層七階の勇壮な天守を配置した城を全国の大名に命じて(天下普請)築城させました。
 家康在城時の駿府の町は、江戸と共に いわば二元政治が行われていたため、
政治、経済の中心地として大いに繁栄していました。家康の死後は、
城主となった忠長が改易された以後は。駿府城は城代の管理となります。
寛永12(1635)年の火災により天守閣などの殆んどの建物が焼失し、
以後 江戸時代の駿府城は、建物の規模も次第に縮小していくことと成った
平成の時代に成ってから巽櫓、門等の建物は再建されますが天守は再建されていません






 
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