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Hara-Castle
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唐津城へ
(其の二)

再登城編





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原 城別名(日暮城)


天草四郎は元和七年(1621年)〜寛永15年(1638年)の17年間に至り
   「原城」をキリストの布教の拠点とし乍ら、農民の苦境を救うために活躍した、
人物だが。江戸初期のキリシタンの
「島原の乱」の指導者とされて
幕府の攻撃により「原城」は陥落。天草四郎は自害したとされている
本名は「益田四郎時貞」・洗礼名は多々あるが、定かでは無いようです
一般的には「天草四郎時貞」と呼ばれ周囲の信頼も厚く信徒も数多いとか
落城後の城の石材などは総て「島原城」の建設に使用されたと言う。
★ しかし荒廃した原城の址をみて、時代の変貌と人の心の侘しさを思う ★
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